冬の海

 

海へ行った。
 
 
 
昔、友人と語り明かした懐かしい海ヘ―――



冷え切ったハンドルを握りアクセルを踏み込んでみる。
 
 
 
慣れ親しんだ海岸沿いを、
高校生の頃よく行った海へと向かった。
 
 
 
毎年、暑くなるとテントを担いで向かった海へ。



激しく打ち寄せる波の音。
 
 
 
頬を刺す風。
 
 
 
広がる山並み。


 
晴れ渡る日差しの中、
大きな岩の上で遠く水平線を眺める高校生くらいのカップルに、
ひどくセンチメンタルな気持ちにさせられた。
 
 

靴を脱ぎ、素足になり、波打ち際を歩いてみた。
 
 
 
打ち寄せる波が足元から体を冷やしてくれた。


 
昔のことを思い出していた。
 
 
 
あの頃の友人達は、
どこに消えてしまったのだろうと寂しく思った。

 
 
キャンプ場で出会った女の子のことを思い出していた。
 
 
 
夕方に現れ一緒に酒を飲み、
翌朝にはふっと消えてしまった女の子のことを。
 
 
 
一緒に夜の波を眺め続けたことを。
 
 
 
波に光る夜光虫がとても綺麗だったことを。


 
夕方、車の窓を開け放ち、
あの頃好きだったCDを掛けてみた。
 
 
 
いつまでも色褪せないそのメロディは、
もう遥か昔の事を、ついこの間の事のように思い出させた。


 
冬の海は切ない。
 
 
 
儚さだけが心に残る。


 
街に戻った俺は、
一人バーの扉を開けた。
 
 
 
そして、若いバーテンダーにピーチ・ベリーを作ってもらった。
 
 
 
誰もいないカウンターで、
二人で冬と海の話をした。


 
k 

 

 

夜空に月が出ていた。





丸く霞んでぼやけた月は、
どうした訳かいつもより近くに見える。





視力が低下したせいだろうか。





あるいはアルコールのせいかも知れない。





その昔───





水面に映った月を取ろうとして、
溺れ死んだ詩人がいるという。





馬鹿げた話だが、
今なら詩人の気持ちが少しは理解出来る。





彼の失敗は、
水面に映った月を掴もうとした事だ。





俺なら空に浮かんだ月を掴む。




ほら、掴めた。





簡単な事だ。





酔っ払ってさえいれば───



 

ギムレット

 

 

久しぶりにギムレットを飲む。




ショート・カクテルの中で好きなカクテルを挙げよと言われれば、
ギムレットはその一つだ。




ギムレットには早すぎる』




とは、レイモンド・チャンドラーの小説『長いお別れ』の中に出てくる有名な台詞。




近年のドライ嗜好でフレッシュ・ライムを使うことが多いけれど、
当初はコーディアルを使った甘口のカクテルだった。




フレッシュを使う場合は砂糖を加えて甘みを補強するのが主流だが、
バリエーションを広げるなら、
ウォッカ・ベースやシェークせずにオン・ザ・ロックなどでも楽しめる。




今夜は名探偵フィリップ・マーロウになった気分でギムレットを飲むのもいいかも知れない。
 

 

 

懐かしい香り

 

 

横断歩道で信号待ちをしていると、
懐かしい匂いがした。





軽い花の芳香が漂う香水の香り。





俺の前に立っているOL風の女性から、
それは届いていた。





いつかどこかで―――





それもひどく身近で嗅いだ匂いだった。





思い出せない。





が、それは確かに、
いつかの自分が慣れ親しんだ匂いだった。





控えめな花の香りが、
香水らしくない優しさを保っていて―――





どうしても思い出せなかった。





時間に余裕があるのを確認し、
デパートの香水コーナーに立ち寄った。





『花の香りで昔からあった物なんですが…』





定員におぼつかない説明をする。





『大体、こちらのような物になりますね』





店員が出して来た香水は数種類あったが、
ボトルを見た途端に思い出した。





記憶の中のものとは違ったが、
出された香水の中に同じブランド名のものがあった。





断片的な遠い記憶が蘇ってくる。





花の散った透明のボトル。





間違い無かった。

 






【ローラ・アシュレイNO.1】





 

昔、付き合っていた彼女の誕生日にプレゼントした香水だった。




思い出さなければ良かった――――

 

 

 

 

 

 

グラン・マルニエ

 

 

女性雑誌は面白いと思う。





今から六年程前まで俺は、
サラリーマンとバーテンダーの二束の草鞋を履く生活を送っていた。





女性誌を読むようになったのは、
その当時、社内の女の子がいつも読んでいたのを、
何気に読んでからだと思う。





俺はあまりファッションに興味はないが、
女性雑誌をパラパラ捲っていると、
お洒落に気を使う女性の気持ちというものが、

少しは理解できる気がする。





確かに男の目から見ても、
四季折々に変わるそのファッションは可愛いと思う。





もし自分が女性なら、
間違いなく興味をそそられる事だろう。





あれは何という雑誌だっただろうか―――





どうしても思い出せない。





が、今でも記憶に残るポエムがある。







【グラン・マルニエのソーダ割り】







レシピは簡単だ。





グラスに氷を落しグラン・マルニエを注いでソーダで満たす。





ただこれだけ。





だが、このグラン・マルニエとソーダ。





この分量をある比量にすると、
願い事が叶うのだという。





ただの1mlも増減してはならない。





このポエムを読んだ後、
それほど好きでもないグラン・マルニエのソーダ割りを、
何度かバーでオーダーしたことがある。





何度飲んでも美味しいとは思えなかった。





俺の嗜好には合わないのだ。





しかし、【願い事が叶う】というフレーズが今でも気になっている。





いつか、その分量に合ったグラン・マルニエのソーダ割りに出会えることがあるだろうか。





願い事だけは考えておくべきかも知れない。